2011年5月10日火曜日

清河神社を訪ねて



清河八郎は時代の魁となり維新回天の偉業をなした人物として、藤沢周平の”回天の門”に 書かれている。


清河八郎が暗殺されてから 四年後に 明治の時代を迎える事になったとか。


 地元では維新の志士を祭るために昭和八年に清河神社が建てられ 今日に至っており、5/5はその祭礼が行われていた。屋根の修復も終わり、落着いた装いを呈していた。


 ちなみに 奥様の蓮様は 朝日の熊出より大山に養女になってきていたが、貧しかったために鶴岡の城下に 遊女として 働いていた時に

 八郎に 身請けされたとか。獄中でも決して 口を割らなかったとか、悲しい最後になってしまった。


 さくら花たとひ散るとも壮夫(ますらお)の

  袖ににほひをとどめざらめや

 艶女(たおやめ)がゆくえもしらぬ旅なれど

  たのむかひありますらをの蓮 ・・・・ この歌は清河八郎が愛妻蓮女の獄死を仙台で知り、その追悼に詠んだもの だそうです。 


























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